

サステナビリティのリーダーに密着!
ビジネスと社会貢献を両立する人と企業の深掘りシリーズ
「使わなくなったものを、捨てるのではなく、人から人へとつないでいく」
――そう語るのは、株式会社コメ兵ホールディングス 代表取締役社長の石原卓児さん。終戦後、一台のリヤカーから始まった古着の商いは、いまやグループで国内外に300店舗以上、ブランドバッグや時計、ジュエリー、着物から車のタイヤホイールまでを扱うブランドリユースのリーディングカンパニーへと育ちました。同社が掲げる"リレーユース"という思想と、「思想を文化に変える」という挑戦について、石原さんに伺いました。
取材・編集:gooddo編集部
どちらのお客様からも「ありがとう」と言っていただける商売を
まず、コメ兵ホールディングスの事業内容について改めて教えてください。
いまは事業会社を含めて20社ほどのホールディングスになっているんですが、ざっくり言うと、多くはブランド品の買取と販売です。取り扱っているのは、アクセサリーや時計、バッグですね。中核事業の「KOMEHYO」の旗艦店である名古屋大須の本店では、着物やカメラ、楽器なんかも扱っています。
少し毛色の違うところでは、グループ会社のうち3社が車のタイヤやホイール関係の会社で、メイドインジャパンのホイールを海外でも展開しているんですよ。とはいえ、私たちの軸はあくまでリユース品の買取と販売です。どちらのお客様からも「ありがとう」と言っていただける商売を続けたい。そこはずっと変わりません。

一台のリヤカーから始まった、戦後の商い
創業のきっかけを教えてください。
うちのルーツは、お米屋さんなんです。創業者の父、つまり私から見ると曽祖父にあたる兵次郎が、愛知県で米穀店を営んでいました。「米兵」という名前は、その米屋の屋号から来ています。創業者である祖父は四男でしたから、いずれお米屋を継ぐ立場ではなかった。だから自分で何かをやるしかなかったんです。
終戦後、まだ世の中が落ち着かない頃、家で使っていない嫁入り道具などをリヤカーに乗せて、半田の焼け跡で「これ、買ってくれませんか」と声をかけて回った。それが始まりだと聞いています。「お金が貯まったら名古屋に出て商売がしたい」という思いだけはあったようです。
古着の商いからのスタートだったんですね。
そうです。大須商店街の駄菓子屋さんの隅っこで場所を貸してもらって、古着を置かせてもらったのが最初です。当時は誰もが衣食住に困っていた時代でしたから、「自分にできることはないか」と考えた結果なんですね。男性には洋服、女性には着物。やがて家具や家電、古本まで「何でも買います、何でも売ります」と扱うようになった。いまで言う総合リユースの走りのようなものでした。


「いらんものは、コメ兵へ売ろう」――地域一番をめざして
そこから、どのように大きくなっていったのでしょう。
創業者の祖父は「古着で日本一になりたい」という人でした。2代目の父の頃には、年間売上が50億円ほどになり、名古屋で目立つ存在になっていきました。名古屋では「いらんものは、コメ兵へ売ろう」というCMも流していたので、「何でも売りに行ける店なんだ」というイメージが、地域の皆さんに刷り込まれていったんです。
いまのように全国へ広がっていったのは、何がきっかけだったのでしょう。
大きかったのは、やはりバブルですね。路面にブランドの直営店が次々とできて、皆がブランド品を買って持つようになった。そうなると、いつかは飽きる、使わなくなる。「だったら買取が増えるんじゃないか」というところから、ブランド買取へシフトしていきました。私が入社したのは29年ほど前ですが、その頃はまだカメラや家電、電化製品の売上のほうが大きかったんです。それがやがて売上の半分がブランド品になり、そこからは一気でしたね。買取もどんどん増えていきました。

"リレーユース"という言葉が生まれた日
2003年の上場、そして東京進出について教えてください。
2003年に上場を果たしたのち、東京へ本格的に進出するぞ、ということで、2004年に東京・有楽町へ大型店を出店しました。とはいえ限られたスペース、効率を考えるとバッグ、時計や宝飾を中心に取扱いをしていました。その後、人が集まる新宿にブランドリユースの専門店を出し、銀座にも進出しました。名古屋で一番のつもりでいても、全国区になろうと思ったら、東京で目立つ存在にならなければいけない。そういう挑戦でした。
上場は、会社のあり方そのものを見つめ直す機会にもなったのでしょうか。
実は私の父が2代目社長だった1995年頃に「リレーユース」という言葉を考えていたんです。当時はまだ「中古屋」でも「リサイクル」でも、自分たちをしっくり表してくれる言葉がなかった。ものは、人から人へと伝承して、その使命を全うする。だったら捨てるのではなく、ちゃんとつないでいくことで、もう一度活躍できるはずだ。私たちはその"中継点"なんだ。そういう思いを込めて、父の世代がこの言葉を編み出したと聞いています。ただ、その後しばらくは、社内で大きく掲げられることはありませんでした。
2020年にホールディングス体制へ移行したタイミングで、「リレーユースを"思想"から"文化"にする。」というミッションを掲げ、もう一度この言葉を経営の軸に置き直しました。グループが20社に広がっても、私たちが大事にすることは一つです。使わなくなったものを、捨てずに次の人へとつないでいく。その"中継点"であり続ける。父の世代が生んだ言葉に、改めて命を吹き込むような気持ちでした。

中古は、"恥ずかしい"ものじゃない
そうやってものを"つないでいく"うえで、買取で大事にしているのはどんなことですか。
私たちが何より大事にしてきたことは、お客様に満足していただける価格でしっかり買うことです。自分たちの豊富な販売チャネルがあるからこそそれを実現することができます。中古でいくらで売れるかが分かっているので、そこから自分たちの利益分だけを差し引いて買い取るんです。会社によっては、新品の販売価格との差が数千円しかなくても、買取価格では、大きく開きが出ることもあるんですよ。弊社では、それ以上に儲ける必要はない。高く買うことこそが、お客様がまた来てくださる理由になる。そう教えられてきました。
だから、うちはちょっと変わっているかもしれません。鑑定士は毎月、自分の仕入れの分析が全部出るんですが、相場より"安く買えている"と、かえって「考え方が間違っているんじゃないか、もう一度勉強し直してこい」と言われる。基準外品をうっかり買ってしまっても、高く買いすぎても、怒られることはありません。怒られるのは、安く買ったときだけなんです。「あそこは安く買い叩く」とお客様に思われてしまったら、何十年もかけて築いてきた信頼が、一瞬で崩れてしまいますから。
そうしたリユースの商売は、世の中からはどう見られてきたのでしょう。
正直に言うと、昔はあまり良いイメージではありませんでした。「困ったときに行く場所」「なんだかギラギラしていて怖い」。実際に働いている私たちと、世間のイメージとのあいだには、大きなギャップがあったと思います。でも、使わなくなったものを現金に換えて、お客様にものすごく喜んでいただける。続けるうちに、これは社会貢献というより「必要とされている商売なんだ」と感じるようになりました。いまは「もう二度と出会えないかもしれない一点モノを見つけた」という、自分の好きなものに出会える楽しみに変わってきている。だからこそ私は、「自分たちがいるから、この流通が生まれているんだ」と誇りを持てる仕事に変えていきたいんです。

商品化と"クレド"――飽きずに、コツコツ
社員の皆さんは、「リレーユース」をどう受けとめているのでしょう。
ただ買って売ればいい、ということではないんです。お客さまが使わなくなったものを、買取しきちんと商品化する。宝石なら新品同様に仕上げ、時計なら電池を交換して磨き、割れたガラスは交換する。「自分でやろうと思ったら何万円もかかることを、ここまでやってくれているんだ」と、安心して受け取っていただける状態にする。それがリレーユースだという思いは、私自身も発信していますし、入社の段階から「それをやりたい」と言ってくれる仲間が大勢います。
現場で働くスタッフの皆さんについては、どんなことを大切にされていますか。
コメ兵では、「クレド」と呼ぶ行動指針を大切にしています。誰が、どんなときであっても、コメ兵のスタッフらしくお客様や共に働く仲間と向き合えるといいよねという指針です。
私たちには、従業員同士がお互いの素晴らしい行動を報告し合い、称賛する「クレドカード」という仕組みがあります。 ありがたいことに、スタッフから年間2,000枚以上のお礼のカードが届くんですよ。だから、現場で頑張ってくれたスタッフの行いに、こちらもちゃんと気づいて「ありがとう」と言える仕組みにしておきたい。商いというのは、飽きずにコツコツ続けること。派手なことをするより、毎日コツコツやる姿をお客様は見てくださっている。これは先輩たちから受け継いだ、変えてはいけない大事なところだと思っています。
鑑定の技術も、コメ兵ホールディングスグループならではですね。
いまは楽天グループのフリマアプリ「楽天ラクマ」の提供するサービス「ラクマ最強鑑定」も、実は私たちが裏側で、商品の検品を担っています。テクノロジーでカバーできる部分はありますが、最後はやはり人の力なんです。時計なら文字盤の針一本、バッグなら接着剤の匂いの違いまで、五感を使って見抜く。デジタルと、鑑定士による目利き。その両方があるから、お客様に「本当に大丈夫だ」と思っていただける。
さらに、まだリユースに抵抗があり、買取に踏み出せていないお客様に届くよう、百貨店との新たな取り組みとして、大丸、松坂屋、パルコを運営するJ.フロント リテイリング とコメ兵の合弁会社を設立し、「MEGRUS」という屋号の、買取専門店を増やしています。
百貨店が直接やっているなら安心、と来てくださる新規のお客様が、半分ほどいらっしゃるんです。

思想から、文化へ――"リレーユースが当たり前の世界に"
業界全体の取り組みとして、日本リユース業協会にも関わっていらっしゃいます。
この協会は、当時上場しているリユース企業が集まって2009年に立ち上がりました。当時はまだ「リサイクルショップ」という言葉しかなかったので、私たちのほうから「リユース」という言葉を使っていかないと浸透しない、と考えたんです。会員も、いまでは約100社にまで広がりました。大手が締め付けるのではなく、自分たちがきちんとやることで業界の水準を上げ、見本になっていく。そういう存在でありたいと思っています。
そうした日本のリユースは、海外でも通用するものなのでしょうか。
モデルを携えて、各社がそれぞれの国で挑戦しています。当社も、海外でも約40店舗を展開し、グループの売上比率でも一定の割合を占めるようになりました。昨年には、アメリカでも買取をスタートしたところです。面白いのは、日本人の目利きという付加価値が、海外のお客様にもしっかり評価されていること。ローカルの場所でも、リレーユースを文化にしていきたい。世界中に共感者を広げていきたいんです。
リレーユースを「思想」から「文化」へ。いまは何合目だとお感じですか。
まだまだ伸びる業界です。リユースの中で一番進んでいるカテゴリーは、私は車だと思うんですよ。中古車を買うことを、もう誰も恥ずかしいとは思わない。むしろ新車より中古車の流通台数のほうが多いくらいです。ブランド品や時計も、あれくらい当たり前に流通するようにしていかないといけない。そこまで行って、ようやく文化になるんだと思います。
最後に、石原さんがこの先に目指している景色を教えてください。
時計やバッグの一つひとつには、それを作る職人さんの技術とプライドが込められています。私たちリユースに携わる者が、それを適当に回してしまっては、いいものが流通しなくなってしまう。逆に、ちゃんと流通させるインフラがあるからこそ、欲しいタイミングで欲しいものに出会えるし、いいものを安心して手放せる。手放すのは少し寂しいことかもしれませんが、「想いの詰まったものとの別れ方」を僕らがお手伝いできれば、それは恥ずかしいことではなく、誇れることになる。中古を扱う私たちが、新品をつくる人たちから「信頼できる」と認めてもらえるところまで行きたい。そうなれば、従業員も「この仕事を誇りに思える」はずです。給料がいい、働きやすい。それももちろん大事ですが、それ以上に、そういう仕事をしてほしい。きっとそれが、創業者である祖父の望んだことなんだと思います。
▼ あなたの一点も、"リレーユース"の一歩に
長く使ったものを手放すのは、少し寂しいものです。けれど、そのモノを次の誰かが大切に使ってくれるなら、その別れは新しい始まりにもなります。
使わなくなったモノを、捨てるのではなく、次の人につないでいく。
その習慣が当たり前になると、石原さんの語る「リレーユースを『思想』から『文化』にする。」につながると思います。
あなたのモノにも、まだ次の出番があるかもしれません。


